開拓まで
北海道の統一行政機関として2度目の北海道庁が置かれた明治19年(1886年)、明治政府の政策で北海道に開拓の波が訪れました。
明治24年(1891年)7月。伊予国(現在の愛媛県)大洲藩最後の藩主、加藤泰秋子爵もその波に乗り、北海道の開拓を決意。一ヶ月あまりの調査の結果、洞爺湖に着いたそうです。
加藤泰秋子爵は月浦周辺の調査に2ヶ月を費やし、3名のお供を残して東京に帰りました。そして明治政府へ官有地払い下げの請願を起こした後、準備のために愛媛県へ帰還しました。
ちなみに請願の内訳は、月浦200町歩、仲洞爺300町歩、留寿都大原400町歩。※1町歩は、約9.9平方キロメートル
さあ!開拓の始まりです!
正式に払い下げの許可が出たのは2年後らしいのですが、先走ること明治25年(1889年)4月中旬。まだ雪の残る月浦に、再び加藤泰秋子爵が訪れます。

明治42年 加藤泰秋子爵別荘

